児玉神社|江の島の児玉神社、改装工事の合間に現れた本殿を激写!
よろしくお願いします。
今回は、江の島の児玉神社についてご紹介します。
「え?江の島にそんな神社あったっけ?」という方もいらっしゃるかもしれません。
というか、そういう人の方が多いのでしょうけれど…
看板が立派!
けれど、位置が地味に分かりにくいのかもしれませんね。
実は今回、いつも手前のお堂で隠れていた「本堂」を大公開いたします。
というのも、お堂の改装工事で、一時的に取り壊されていたからなんです。
また、それと同時に、
①児玉神社の入り口はどこ?
②児玉神社の境内ってどうなってんの?
③そもそも児玉さんて、何者?神様なの?
という疑問にお答えしながら、ご案内させてもらいます。
1.児玉神社への行き方は?
江ノ島の入り口である「青銅の鳥居」をくぐり、「仲見世通り」を通り抜けると、正面には「朱の鳥居」とその先に続き階段が現れますよね。
じつは、この道を進むと、児玉神社に気づきません!
朱の鳥居から左手に向かうと、一つ目のエスカー(有料のエレベーター)乗り場がありますよね。
この乗り場のある方へ向かい、その先に続く階段を上ります。
すると、児玉神社の看板と、鳥居のところまで来ることができます。
2.児玉神社の参道を進みましょう!
鳥居くぐると、看板が立っていました。
参道は木々に覆われていて、山登りに近い気持ちになります。
先ほどまで人でにぎわっていた江の島なのに、こちらは人の気配が全然なく、とても静か。
歩いていると右手にこのような石の標識がありました。
「児玉神社への表参道」と書かれていて、気持ちが引き締まります。
そのまま進むと階段が続きます。
しばらく歩くと、再び鳥居が出現しました。
やっと到着です!
ふたつめの鳥居を抜けると、石碑がいくつか置かれていました。
結構木々に囲まているため、空気は涼しい感じです。
天気が良かったので木漏れ日がまぶしい!
我が国を守った砲弾?
解説には、日露戦争のことが書かれていますね。
どうやら、日露戦争と関係のある神社のようですね。
3.児玉神社の境内と、普段見られない本殿をお見せします!
さあ、鳥居をくぐればここに児玉神社のお堂が…!
って、あれ?
…消えた?
江のくん、頭が「???」になりながらも、手水舎に向かいます。
右手にある手水舎は右手は水もきれいでした。
きちんと整備されていますね!
そして江のくん、看板が置かれていることに気が付きました。
お堂は現在取り壊してしまった後で、作り直しを行っている最中とのことでした。
なるほど。
残念です。
と思ったのですが、なんと!
普段はお堂で隠れてしまっている奥の「本堂」が、今の期間だけ限定公開されているのだそうです!
確かに、本堂は見たことがなかったので、逆にラッキーかも!?
そう思って、本堂をがっつり激写してきました。
じゃーーーーん!
ということで、こちらが児玉神社の本堂です!
本来見られないものっぽいので、そう思うと結構興奮しますね。
ちなみに、お堂の手前には、狛犬がいます。
こちらは右側の狛犬。
ただなんか、ちょっと独特じゃないですか?
なんというか、丸い?
こっちの狛犬も、愛嬌を感じずにはいられません。
なんとなく沖縄のシーサー感あるなあと思うんですよね。
あと、上の写真では見えにくいのですが、口の中に「玉」が入っているんです。
アップの写真です!
で、この玉、指で押すと動きます。
結構コロコロと動くんです。
そんな狛犬、江のくん他の場所で見たことないです。
なんというか、日本古来の狛犬と、なんか違う。
ということで、さっそくググってみました。
そしたら、なんと児玉神社の狛犬は、台湾産らしいのです!
なぜなに台湾産?と思われますよね!
それは、児玉源太郎と台湾のつながりにどうやら理由にあるようです。
4.児玉神社の神様、児玉源太郎って何者?
さて、児玉源太郎と台湾のつながりの話を理解するために、児玉源太郎って何者?ということからご案内します。
それについては、ウィキでちょちょいっと情報ゲットです(↓)。
児玉[注 1] 源太郎(こだま げんたろう、嘉永5年閏2月25日(1852年4月14日) – 明治39年(1906年)7月23日)は、日本の陸軍軍人、政治家。階級位階勲等功級爵位は陸軍大将正二位勲一等功一級子爵。日露戦争において満州軍総参謀長を勤め、勝利に貢献した。
※wikipediaより転載
ちなみに日露戦争といえば、「乃木将軍」や「東郷平八郎」などの名前がパッと出ますけれど、「児玉源太郎」の名前は前述したふたりほど知名度がないですよね。
その理由は、
①「参謀」という立ち場のためあまり表に名前が出てこなかった。
②児玉源太郎自身が人を立てて自分はあまり表に出ていかない方だった
こういった理由から、あまり人の印象に残らないといわれているようです。
また、児玉源太郎の功績は、日露戦争を勝利に導いたその後の活躍にもありました。
台湾総督となり、適切な統治を行いました。
治安の安定、ライフラインの整備などに尽力されたそうです。
現在台湾の方は、日本統治時代が良かったと認識してもらえているという話を聞きますよね。
日本と台湾の関係も良好。
これって、元を辿ると児玉源太郎の統治の良さが現在につながっているといえるということですよね。
ということで、神社の狛犬が台湾産の理由は、「台湾より寄贈されたもの」だからなのでした。
ちなみに、日露戦争で大活躍した軍人さんの神社が、どうして江ノ島にあるの?って思いますよね。
と思ったのですが、どうやら違うようでした。
そして、理由はいたって単純でした。
児玉源太郎は、江の島が大好きだったそうなのです。
だから、江の島に神社をつくっちゃおう♪ってことになったようですね。
ちなみに、児玉神社の入り口には、児玉源太郎の本や、おまもりが売られています。
また、御朱印はこちらでいただけるようですね。
入手が難しい本も置かれているようです。
売り切れていなければ、ここで児玉本を入手して、詳しくなるのも手ですよね!
5.まとめ|ご利益は「勝利」。みなさんが勝ちたいのなら、児玉神社の参拝を。
本記事をまとめます。
①児玉神社は、エスカー乗り場の階段をのぼった先に入り口がある。
②いつもあるお堂の裏には本堂が隠れている(今回はその写真を激写!)
③児玉源太郎は、日露戦争の参謀で、日本を勝利に導いた陸軍軍人。
④児玉源太郎は、日露戦争後、台湾の復興に尽力した。
⑤児玉源太郎の神社が江の島の中にあるのは、江の島が好きだから(^^♪
児玉神社の参道を歩くと、にぎわっている江の島の人の気配が消えて、こころが凛とする気がします。
勝負に挑むみなさんなら、児玉神社の参拝で勝ちにいくのもいいかもしれませんね。
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